« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月の記事

2011年2月16日 (水)

これでは北方領土は永久に帰ってこない!

日露外相会談後の共同記者会見で、ラブロフ外相は「北方領土への中国・韓国からの投資を歓迎する」と発言しました。一連の民主党外交の「成果」であることは間違いありませんが、万が一、これが現実となれば、領土返還は夢のまた夢となってしまうでしょう。

しかも、その後の前原外相と大統領府ナイルシキン長官との会談において、「日本が強硬な態度をとり続けるなら、領土交渉の継続は無意味だ」とまで言い放たれ、更にはわざわざ外相のロシア滞在中に、ロシア軍トップが「北方領土の軍備増強」を発表しました。

念の入ったことに、外相会談からあずか4日後に、ロシアは中国からの北方領土への投資受け入れを発表、韓国企業とも交渉中であることを明らかにしました。前原外相がロシアに来るタイミングを狙い撃ちにしたことは明らかです。

なめられるにもほどがあろうというものです。

前原外相の杓子定規な立場論が、負け犬の遠吠えに聞こえます。

日米間の隙間風と、尖閣事件への日本政府のヘナチョコな対応ぶりをみて、チャンスとばかりにメドベージェフ大統領が北方領土に上陸、攻勢をかけてきたのは記憶に新しいところです。その後、日本にとってなんら状況の改善はありません。

欧・中・韓などとの関係深化で、日本の重要性が相対的に低下する中、今回お土産に持って行った日露原子力協力程度では、領土問題で妥協しなければならない動機付けには全くなりません。すなわち、ロシアが譲歩する理由は何一つない状況での会談でした。

おまけに、外相会談直前に、菅首相が無意味にロシアを挑発する発言をし、相手に態度を硬化させる「口実」を与えました。結果が、この有様です。

今回の外相会談は、やるべきでなかったとしか言いようがありません。タイミング最悪、戦略性ゼロ、ロシアの動向に関する情報ゼロ。最悪です。そしてなぜ、対米、対中、対韓外交などで外堀を固めてから臨まなかったのでしょう。

民主党政権が続けば続くほど、北方領土がオホーツク海の彼方へと遠ざかっていくようです。

|

2011年2月10日 (木)

独立スーダンへ関与強めよ

スーダンで行われた住民投票の結果、南部住民99%の支持で、南部スーダンの独立が確定しました。ニュースを聞いて、3年前、国連スーダンミッション(UNMIS)への自衛隊派遣を巡って、スーダンを訪問した時のことを思い出しました。

スーダンは、もともと北部アラブ系(イスラム教)と南部アフリカ系(キリスト教)が、エジプト、英国によって別個にに統治されていました。それが、両国の都合で合併されて単一国家となり、北部アラブ系による軍政支配が確立したものの、長年にわたり内戦が続きました。2005年、アメリカの仲介でようやく南北が和平に合意し、その際、国連平和維持部隊の常駐と、6年後に南部独立に関する住民投票を実施することが決まりました。

しかし、その後も、ダルフール地方をはじめ内戦は止まず、アラブ系ゲリラを使って住民を弾圧してきたバシール大統領には、国際刑事裁判所から「大量虐殺」の罪で逮捕状が出されるなど、困難な状況が続きました。日本にも、国連ミッションに部隊を派遣するよう、打診がありました。

そんな状況の下、2008年夏、首都ハルツームに降り立った私は、ナイル川に浮かべた船上で、バシール政権の閣僚たちとのランチ・ミーティングに臨みました。ランチを終えてデッキに出てきた一人の大臣が、船の舳先に片足をかけ、水面の遠くを見つめながら語りかけてきました。「スーダンは今は貧しいが、俺たちには石油資源があるんだ。きっとサウジアラビアのように豊かになってみせる」。

船を降りるときに、船長室の前に、輝くプレートが掲げられていることに気付きました。見ると、漢字が書かれているではありませんか!解読すると…、

「この船を親愛なるスーダン政府に贈る。中華人民共和国政府」。

驚いたことに、私たちが乗っていた船は、スーダンの石油資源を狙った中国政府による贈り物だったのです。

しかし、その「石油資源」のほとんどは、今回独立することになった南部に偏在しています。すなわち、南部独立によって、サウジを目指した閣僚たちの夢は見果てぬ夢となり、また、独裁政権にとりいって資源を獲得しようとした中国政府の目論見もまた、脆く崩れ去ったのです。

今回、多くの石油資源とともに独立を勝ち取った南部ですが、その生活水準は大変低いものです。南部の首都ジュバでは、町の中心地ですら、人々は土を塗り固めた家に住み、マラリアが蔓延し、空港には半年前に墜落したという飛行機の残骸がそのまま放置されていました。南部のサルバ・キール大統領は、隣国ウガンダに家族を残して「単身赴任」しているとのことで、ジュバ滞在中はテントで生活していると言っていました。

こうした状況をみれば、独力での資源開発は困難と言わざるを得ず、諸外国が鵜の目鷹の目で介入してくることは想像に難くありません。また、一部の油田は、南北境界が確定していない地域に存在することから、この資源を巡って紛争が再燃する恐れもあります。

現在、日本は、国連ミッションには、連絡要員を二人、送っているだけです。南部独立を踏まえて、ODA戦略を再構築するとともに、UNMIS/UNAMID(国連・AUダルフールミッション)への部隊派遣も再検討すべきです。いま、平和国家である我が国が国家再建を積極的に支援することは、スーダンの利益にかなうとともに、我が国自身の利益にも必ず繋がるはずです。ゆめゆめ、中国に出遅れることのないようにしなければなりません。

|

いま明かされる、マニフェストの真実

衆議院予算委員会がはじまりましたが、民主党関係者から、マニフェストに関する驚きの発言が続々と出てきています。

「年金制度で、収入など詰めた議論をした記憶はない」(蓮舫行革大臣/元ネクスト年金担当副大臣・予算委員会答弁)

「財源は詰める必要はない。やってみてだめということで謝ればいい」(藤井裕久官房副長官・マニフェスト決定会議での同趣旨の発言を予算委員会で事実上認める)

「マニフェストを決める会議で、財源を詰めないと政権を取ったら命取りになるとの意見が出たが、最後は小沢代表のエイヤで決めてしまった」(前原外務大臣・与謝野氏との対談での同趣旨の発言を予算委員会で認める)

「赤字国債を出しながら子ども手当を出すなんてマンガみたいな話だ」(峰崎内閣官房参与/元財務副大臣・2月4日読売新聞)

「年金制度でアバウトな数字すら出せないことには驚いた。マニフェストを作った人たちに説明してもらいたい」(桜井充財務副大臣・2月3日記者会見)

「信じられない」の一言です。いや、おおかたこんな具合でマニフェストを作っただろうとは想像していました。しかし、マニフェストの柱であった年金、財源、子ども手当がかくもいい加減な話だったとあっさり認められては、そんな人たちは信じられない、ということです。

そもそも「無駄の排除でねん出した財源で子ども手当を配る」のと、「赤字国債で借金して子ども手当を配る」のとではまったく意味が違います。もう一度選挙をして、赤字国債とセットで子ども手当を問いなおしたら、どういう結果になるでしょう?

これは、予算の基本中の基本に関わる問題です。「4年でやるから、まだいいのだ」と言われても、実現可能で説得力のある工程表を示さない限り、誰も信用しないでしょう。あと2年で、マニフェストを巡る状況が劇的に変化する可能性は、ゼロです。

いま、マニフェストの矛盾とともに、国そのものが行き詰っています。日本に残された時間はもう多くはありません。もはや、マニフェストを撤回して、一から出直す以外に道はないはずです。無理筋を突き進んで、国全体を巻き添えにしないよう、祈るばかりです。

|

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »