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2011年6月 2日 (木)

政治の怠慢でお茶を殺すのか(その2)

最後に口に入るものが、万が一にも健康に害を与えるものであってはいけません。しかし、お茶のケースでは、口に入る「飲用茶」に危険がないことは、すべての関係者が理解していることでした。

それにもかかわらず厚生労働省が生葉と同じ基準での荒茶の検査を主張したのは、目の前に存在している「暫定規制値」を杓子定規に解釈した結果です。これは、ある意味、法の執行を旨とする役所としては当然の反応かもしれません。

しかし、そんなお役所仕事で日本の誇り、地域の宝であるお茶をつぶされてはたまったものではありません。制度内部に矛盾があること、実際は危険性がないこと、暫定の仕組みはお茶の特殊な商品特性を反映していないこと、なにより合理性のない基準によってひとたび規制をすれば、その影響は計り知れないことなどをもって、私も厚生労働省の説得にあたりました。

各方面の努力の甲斐もあって、厚生労働省は一定の理解を示し、官邸による総合的な判断に従う方針をとることとなりました。ここで私も少し安心をしました。「政治家が総合的な見地で判断するなら、こんな不条理を強行することはないだろう」と…。

その情勢判断が甘かったことがわかるのに、それほど時間はかかりませんでした。

官邸で対応に当たった枝野官房長官は、厚労省、農水省からの報告を聞いても判断を示そうとせず、代わりに原子力安全委員会に話を振りました。原子力安全委員会としては、厚労省所管である食品衛生法上の個別規制値についての判断はできないとして、現状の規制値のままであるなら、荒茶も同じ基準で検査をするべきだ、という意見を示しました。もし荒茶を出荷するなら「セシウム入り」と表記すべし、というあり得ないおまけ付きです。

ある意味、原子力安全委員会としても、与えられた権限の中では、(「セシウム入り」というおまけを除いて)当然の意見であったかもしれません。しかしそれを聞いた官房長官は、判断を避け、なんと総理大臣に判断を求めました。

これを受け、関係省庁が総理大臣の前で御前会議に及んだのが今週の月曜日。この種の案件が総理までいってしまうこと自体かなりの驚きですが、もっと驚いたことに、総理大臣までもが、本件の判断を回避したのです。

総理まで到達した案件を、総理が判断しなければ、もうこの国には、あとに判断する人は誰もいません。結局、政府には、現存する「暫定規制値」を杓子定規に解釈する以外の道がなくなってしまいました。政府は公式にはまだ決定していないと言っていますが、昨日付けの夕刊に、荒茶も含めて検査を求める方針との記事が載りました。官邸筋からの情報と思われます。

そもそも、原発事故から3カ月も経過しようというのに、まだ「暫定」規制値のまま放置されているというのは、政府の怠慢ではないでしょうか。もっと早く、もう少し細かい規制を作っていれば、こんなことにはならなかった。或いは、今回の件が出てきてからでも、お茶の特性に合わせた規制方法や、暫定規制に不都合があった場合の対処方針が作られるべきだった。それすらないまま、お茶が、無責任・機能不全政権の犠牲になろうとしています。

まさに、この国がおかれた状況の縮図を見ているようです。役所は所管事項を法に基づき淡々と執行しますが、そこで不都合が生じたとき、総合調整を図るのが政治の役割ではないでしょうか。それをトップ中のトップまでもが責任回避をしてしまう現状。これで組織がうまく回ったら、その方が驚きです。今回の件を通じ、この政権は、総理にも、官房長官にも、大臣・副大臣にも、そして各議員にも、大いに問題があることがよくわかりました。

後から補償などもらっても、危険でもないお茶を廃棄しなければならない農家は、泣くに泣けないでしょう。風評被害も残るでしょう。1シーズン棒に振ることで、中国産のお茶に市場を取って代わられてしまうかもしれません。お茶を文化として親しんできた日本人にとって、大変悲しむべきことです。技術や信頼などに加えて、またひとつ、日本の誇りが失われていくようです。

本稿を書いている時点では、まだ、最終決定はされていないと理解しています。民主党の方に、最後に政治家としての矜持を見せていただくよう、祈るばかりです。

(了)

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