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2012年3月11日 (日)

一年後の3・11

東日本大震災から一周年を迎えた今日、全国で様々な行事が行われ、テレビは震災一色となりました。私も、いくつかのチャリティーイベントに参加し、また被災地の中学生が歌う「ふるさと」に心打たれ、涙が止まりませんでした。しかし、被災地では、まだ34万人の方々が避難生活を余儀なくされ、がれきの撤去も、道路・病院の復旧も、僅か数パーセントしか終わっていません。本格的な復興は、まだ始まってすらいないとも言えます。私たちは、「被災地支援」を口にしながら、そのことを忘れかかっていやしないだろうかと、自問しました。

いまの日本社会は、気力に欠け、萎えているように感じることもしばしばです。フランスの思想家ジャック・アタリ氏は、日経新聞のインタビューに対し、「いまの日本には無意識の自殺・自滅願望があるようにしかみえない」、「人々は未来への興味を失ったのか」、と指摘していました。私も、そう思えてならないところがあります。

恐らく、被災地の復興には、まだまだ何年もの時間がかかります。被災地を支えるには、被災しなかったすべての人たちが、気力に満ち、希望を胸に前に進み続けなければなりません。いかに政治が、経済が、八方ふさがりのように見えても、投げやりになってはいられません。それでは、被災地で頑張る人たちが救われないではありませんか。

アタリ氏は、同時にこんなことも言っています。今後、米国が衰退し、紛争が多発する混乱した世界を迎えるだろうが、その先の数十年後に、世界の人々が調和を目指す新しい世界が登場するだろう、そして、その時にこそ「礼儀正しく、他人の幸せを自分の幸福のように願う」特性を持った「日本人」が、「必ず重要な役割を果たす」だろうと。

それは、まさに私が政治家として実現を目指している世界でもありますが、震災に直面する中でこうした「特性」を発揮し、またこれまでにも様々な歴史を乗り越えてきた私たち日本人には、世界人類に貢献する「使命」があるのではないかと感じます。その日のためにも、私たちは、心を強くもち、日本という国を、社会を、強く、誇りあるものとしてまもっていく責務があるのではないか。震災という試練から一年後、そんなことを感じた一日でした。

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